逃がされた魚

大きくなりたい。

亜Q外伝

   Q子は確かに疲れてゐた。部屋は心を表すといふが、彼女の部屋は彼女のきもちを現像したもののやうである。草臥れた部屋に明かりを灯し、Q子は口角も上げず笑つた。確かに彼女は疲れてゐたのだ。

   何に疲れてゐるのか、といふ問ひは酷く愚直であつて、彼女に声をかけるのであれば、貴方は「何には疲れてゐないか」と問ふた方がずつと彼女の疲れを増やさなくて済む。彼女はたぶん、「貴方には疲れてゐないわ」と、口角を上げて笑ふであろう。

    彼女の狭い家への帰り道、Q子はいつも泣いて帰る。全てのものが、彼女には不愉快であつた。彼女と違う思考をもつた人間たちも、一向に解決されぬ問題たちも、そして如何しても願ふようにはなつてくれぬ彼女自身も、みんな厭なのであつた。余りにも自分中心で、自意識過剰で、醜い。誰かにさう思ふ程、自分自身にも同様に感じられるのである。さうでない人間が、ゐたかしら。あの人も同じだつたのよ。あの人が一番、酷いのよ。玄関先で崩れ落ちてはさう泣くのが常であつた。

    ある日、Q子は目覚めた。目を開けると、視界は霞んでゐて、思考も白と、黒と、殆どの灰色で塗られてゐた。それでも今日も、行かなくてはならないわ。ところであたしは、何処に行かなきゃならなかつたのかしら。いやだ、あたし、何を着なきゃいけなかつたのかしら。夢であろうと思へど、夢よりずつと不快な現なのだわ、と気付いて彼女は、彼女の掠れたアパルトマンの階段を駆け上つた。