逃がされた魚

大きくなりたい。

ラブレター宛先無し

 ここ数日彼を好きで困っている。

 嫌いだと何回も書いたし何回も言った。

 でも、だめだ。嫌いであり、かつどうしようもなく好きなのだ。

 どこがと言われると答えはない。顔も別段かっこいいわけではないし、身長も低いし、すごく優しいわけではないし、某東大に通っているとは言え私の方が頭はいいし、ものすごい嫉妬深かったし、気に入らないと怒るし、自分勝手だし、一緒に旅行にも行ってくれない。好きになるところなんてないはずなのにね。

 でも何万回も言ってきているように、愛おしいのだ。レストラン、机を挟んで向かいの彼が「て!」と言ってきたから差しだした私の手を、彼は自分のほっぺたに当ててにっこり笑う。この顔をされたら何でも許してしまう。愛おしくて愛おしくてしかたない。この人を一生守るために生まれてきたんじゃないかと思った。あまりに無邪気でいじらしい。

 彼は感情が高ぶるとヒステリーを起こした。本当にそれはやめてほしかったし、私がパニクって黙るからさらに悪化して大変だった。でもその後、落ち着くと眉をへの字に下げて泣きそうな上目遣いでこちらを見てくる。「ごめんなさい。嫌いになっちゃやだ」。いいのだ。いい。私はずっと嫌いにならないから、大丈夫だから。だめなところも含めて大好きだから。だから、心配しなくていいんだよ。そんなことを思って、「大好きだから、大丈夫だよ」と答えていた。

 酷いことを言われても、無茶を言われても、弱虫の彼に戻れば愛おしさで全て忘れた。全て許した。馬鹿なのだ。自分でもそう思ってきた。周りからもそう言われてきた。でもどうしようもなかったのだ。私がいなきゃ彼は、彼はきっとひとりぼっちで寂しくて、悲しくて、毎晩泣いてしまうかも知れない。可愛い可愛い弱虫の男の子を、私が抱きしめなくて誰が守るんだ。

 かっこつけている彼を素直にかっこいいとも思ったし、背伸びして可愛いな、私にかっこよく見せたいのかな、なんて考えてもたまらなく好きだった。大好きだった。好きになると、顔も声も匂いも背も小さな手も癖も全部全部好きになった。写真を見るとキスしたくなった。電話するとハグしたくなった。ハグすると彼の匂いに包まれて幸せだった。全部愛しい。未だに愛しい。

 人混みを歩く。繋いでいた手を離し、彼がぐっと私の腰を引き寄せる。つい、つい半年前までそんなことをされて、付き合いたてのころと変わらず、ドキドキして嬉しくて恥ずかしくて幸せだった。反射的に彼を見上げる私の顔はどうなっていたのだろうか。きっと照れと嬉しさと幸せが混ざって、真っ赤な顔をしていた。でももっと、もっと可愛い満足げな表情をできていたら、今もあの人はここにいたのだろうか。私の幸せの半分でも、彼に伝えられていれば、まだ一緒にいてくれていただろうか。

 もっといい人いっぱいいるよ。確かにそうだ。友達にも先輩にも親にも、そして彼本人にも、幾度となく言われてきた。彼より背が高くて、優しくて、爽やかで癖のない顔をしていて、友達が多くて、明るくて、彼女を友達に自慢するような人はごまんといる。むしろそれらの指標で彼に負けている人の方が少ないだろう。でもね、違うの。彼が愛おしいのは、彼が素敵だからじゃない。弱くて寂しがりで見栄っ張りで、でも一生懸命生きていて、彼なりに精一杯私を愛してくれて、そしてあの顔、あの声、あの身長、あの性格だったからだ。彼が彼だから私は彼が大好きなのだ。そうだよ。だから私は彼の抜け殻まで愛していた。彼と関連するもの全てを愛おしんでいた。

 私、この人と付き合ってるんだ。。。本当に!私のなんだ!大好きなこの人が、私のことを一番好きでいてくれているんだ!と、定期的に考えては嬉しくなっていた。別れる寸前まで本当に、そう思っていたんだよ。こんな愛しい人と一緒にいられて、世界一幸せだって思っていたんだよ。君は存在するだけで、一人の人間を世界一幸せにできていたのに。

 君が私を好きでなくなった今、私は最後の意地を胸に秘めている。君を一番幸せにできたのは私だ。君の生涯において一番君を愛して一番大事に思っているのは私だ。これからもずっとそうだ。そばに置いとけばずっと寂しい思いをせずに済んだのに。ばかだね。君は本当にばかだね。いつかそれに気づいて、また私を好きになって、後悔するといいな。そしたら戻っておいでよ抱きしめるから。