逃がされた魚

大きくなりたい。

SNSの毒抜き

 最近SNSに疲れてしまった。

 少しでも心が暇になると、気づけばTwitterかインスタを開いていたのだ。

 疲れた。何が疲れるって、少しでも心を埋められるような材料を探して情報の海をさまよい、少しの感動(喜び、面白さ、ショックなど)を与えてくれる題材を見つけても飽き足らず、延々泳ぎ続けることだ。私は泳ぎが得意でない。25mを40秒で泳ぐ女だ。53人のクラスでビリだった。

 それだけじゃない。インスタでは、彼女の写真を頻繁にストーリーズに載っけ、7ヶ月とかいうよくわからない記念日に旅行に行ったりする元同級生男子がいる。彼氏らしき人物とディズニーに行ったらしき写真を匂わせで載っける人もいる。男女複数で遊びに行っている人もいる。海外へ行ってる人もいる。全ての発信が私の羨望を乞い、全ての発信に私は羨望し、劣等感を感じる。

 そんな自分に呆れて、一度ツイートした。「ストーリーズ見るのは心の自傷行為だって何度言ったらわかるの!!バカ!!」。リアルで繋がっている人がこのブログを見つけないよう祈るばかりだ。そのツイートにいいねしてくれたのは、彼氏持ちアルファツイッタラー東大生と、元彼と別れて3日で新しいドタイプ彼氏を手に入れ1週間で旅行へ行った同じ学科の恋愛猛者だ。私をあざ笑っているのか…?(被害妄想)

 Twitterもよくない。他人ならいいが知り合いののろけツイートとか見ると末永くお幸せに…なりたいのは私だ!!!!と思う。自我が強い。東大生へのコンプレックスもある。キラキラ女子大生になれない私への不満もある。それ以外の普通のネタツイは楽しく見ているが、多分あまりプラスに働いてはいない。さらに何もツイートしていないのに、通知が来ていないと悲しい。みんな私のいない世界で楽しそうに生きてるね…となる。生来のアホなのだ。

 つまり、SNSを見ることで勝手に劣等感と疎外感を感じる。アホだ。私の場合は承認欲求などではない気がする。暇つぶしだ。投稿することより見ることで時間と心の暇を埋めたいのに、それによって時間は埋まるが心は寂しくなる。

 

 だからまずインスタを消した。去り際に、「連絡ある方ない方LINEへどうぞ」とご丁寧にQRコードまで載っけておいた。これで誰かお喋りに来てくれないかと少しだけ期待した。今LINEに3件通知が来ててわくわくして確認したらケンタッキーからだった。3こも送るなよ…期待しちゃうだろ…月見サンド…ゴクッ

 Twitterもパソコンからは見るけど、完全に自分と分けて見ている。どういうことかと言うと、私が存在し得る世界として見ないようにした。TLはショーウィンドウでツイートはマネキンだ。私はマネキンのスタイルの良さに憧れたりしない。みんな色んな楽しいことや衝撃的なことをツイートしているが、それらは全てモデルでしかない。私はそれらを参考にする程度で、特に思いを、自分を持って行かない。

 そんな感じで、ちょっと心が楽になった。なぜみんながSNSへ呪いのように漕ぎ出してしまうかといえば、人と繋がりたいのもあるし、自分を喜ばせてくれる宝探しなのかなぁと思う。もちろんそれはいいことなのだ。いいことなのだけど、その期待を裏切られるのは結構ストレスになるのではないかと思う。私は時間を無駄にしてしまった虚無感、罪悪感も感じる。あまりにも生活の中の暇の大部分を占めるようになると、SNSと離れることが不安で仕方なくなる。でも意外と大丈夫なものだ。

 人は元来一人なのだ。スマホができる前はもっと一人の時間が多かったはずで、今一人が寂しいと感じるのは、人と格段に繋がりやすくなって一人でいることが異常のように感じられてしまうからこそだ。サーバー上の喧噪からいったん距離を置き、自分一人でできること(勉強、読書、お絵かき、お買い物、一人ゲーム)などをしてみると、案外と楽しい。自分が"人と繋がっていないこと"を忘れてしまう。人と"繋がっていること"の方が非日常で、"人と繋がっていないこと"が普通なのだ。本当は。

 そして勉強して楽しいと思ったこと、おすすめの本、買い物で買ったものなどは、不特定多数の目に触れさせるより、仲のいい友達に見せた方が心が満たされると個人的に思う。不特定多数の人間は私の今日買ったものなど心底どーーーでもいいのだ。それよか面倒くさそうに聞いてくれる友達…友達…友達欲しい……